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■「秀ヤンの書き歩き」№25

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■「秀ヤンの書き歩き」№25  2012・8・3

  ◎ 台風接近と指宿が生んだ豪商・濱崎太平次


「秀ヤンの書き歩き」がしばらく停滞していた。実は夏風邪にかかり、体調が優れず発熱はなかったものの、取材にも熱が入らなかった。やっと復活 !

 8月に入って指宿は、いきなりの台風接近に緊張した。しかし直撃は免れ被害もなかった。その風雨が強くなった当日、指宿港を取材した。海は大荒れ、ビロウ樹は大きくしなり自然の力の強さを実感、カメラのシャッターを切った(写真参照)。

トッピー乗り場台風前
  ■種子島・屋久島への高速船トッピー乗り場の桟橋も大揺れ(もちろん欠航)

なびく椰子
  ■港のビロウ樹も強風で、今にも枝がもがれそう

 台風接近のさなか、港の一角に、海を背に指宿の街を向いて立つ銅像が目に入った=写真=。「太平次公園」に立つ「「濱崎太平次翁」の銅像だ。風雨のなか車を止め案内板を読んだ。はっきり言って「濱崎太平次翁」のことは知らなかった(恥ずかしい !)。では、どういった人物なのか、と今更ながらお勉強 !。
銅像
太平次


 1814年(文化11年)生まれ、50年の生涯。薩摩国指宿村湊(鹿児島県指宿市)に、海運業を営む七代目浜崎太平次の長男として生まれた(ということは八代目ということになる)。海運・貿易・造船などに大きな功績を残した薩摩の豪商。高田屋嘉兵衛、銭屋五兵衛とともに「幕末三大豪商」のひとりと称されている。

 14歳の時に琉球に渡り、琉球物産に目を付け、その物産を大坂で売り財をなした。薩摩藩家老・調所広郷の(天保)財政改革では、三島(奄美大島・喜界島・徳之島)砂糖回送に指名され、藩の海外貿易に加担させ、その見返りに秘密貿易を黙認された。その後、薩摩藩の御用商人として海運業・造船業・貿易で力を発揮し、『安政年度長者鑑』の筆頭者となる。指宿十二町湊の海岸に大造船所を設け、三十数隻の大船を建造し、藩の財政も支えたと伝えられている(参考資料「偉人録・郷土の偉人を学ぶ」ほか)。

 若き日に太平次翁の薫陶を受けた川崎正蔵が、兵庫で鉄鋼船を造る川崎造船所を創業し「海運国日本」をつくる先駆けとなった、と案内板にあった。造船業の生みの親といったところか。この時代にすごい人物を指宿が輩出したんだ、と思いを馳せた。うん、少しは勉強になった、かな… ?。

 ちなみに濱崎家の家系図を見ると、濱崎「太平次」と称したのは六代目から十一代目まで実に6人が「太平次」を名乗っていたようになっている。ここで登場したのは八代目「太平次正房(幼名 太兵衛)」のことである。

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